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Zaharya Efendi(Mir Cemil)(?-1740?)について

トルコ古典音楽の音楽家。ギリシア系。1740年没?

信頼できそうな情報源turkmusikisi.comによる彼の解説
http://www.turkmusikisi.com/bestekarlar/zaharya.htm
トルコ語
下の方に彼の作曲した曲一覧がある

トルコ伝統音楽のCDなどを出すトルコのレーベル、カランkalan(http://www.kalan.com/)からZaharyaに関すると思われるCDが出ている。解説が詳しい。ネット上で読める。
トルコ語
Hanende Zaharya
18. Yüzyıl İstanbul'undan Klasik Yakındoğu Müziği
En Chordais Müzik Topluluğu
http://www.kalan.com/scripts/album/dispalbum.asp?id=3871

その英語への翻訳
Zakharia Khanendeh
Classical Near Eastern from 18th Century Constantinople
En Chordais Music Ensemble
http://www.kalan.com/english/scripts/album/dispalbum.asp?id=3871
4つの文が読める
Introductory Note , Historical Background , The Musical Environment of The Times , Hanende Zaharya

Turkish Music Portalでの彼の記事
トルコ語
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=62&lang2=tr

Besteci ve İcracılar / Klasik Türk Müziği / Besteciler
BESTECİ VE İCRACILAR

ZAHARYA
(?-1740) Rum asıllı besteci, hânende ve sazende. Fener Ortodokz Cihan Patrikliği?nde baş hânende olarak çalıştığı söylenmektedir. III. Ahmet (1703-1730) ve I.Mahmut (1730-1754) himayesinde hânendelik yaptığı da söylenir. ?Kürkçü? olarak anıldığı için kürk taciri olduğu düşünülmektedir. 100 civarında eser bestelemiştir, bunların ancak 19?u günümüze ulaşmıştır.

その英語への翻訳(注:Turkish Music Portalの英語の翻訳は全般的に誤字・情報の欠落等が見受けられるので信頼性が低いと筆者は考えている)

英語
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=62&lang2=en

Composers and Performers / Turkish Classical Music / Composers
COMPOSERS AND PERFORMERS

ZAHARYA
(?-1740?)
A composer, singer and musician, Zaharya was said to have served as head cantor at the Greek Orthodox Patriarchate in Fener. It is said that he sang with the patronage of Ahmet III (1703-1730) and Mahmut I (1730-1754). As he was known by the nickname “Kürkçü” (Furrier), he is assumed to have been a fur merchant. Zaharya composed around 100 pieces; only 19 of these have survived to the present.

作曲家、歌手、そして音楽家、ザハルヤ?Zaharyaはカントールcantor頭(がしら)、カントール長、聖歌隊の指揮者頭、聖歌隊の指揮者長、礼拝の主唱者頭、礼拝の主唱者長[訳注※1]としてフェネルFener[訳注※2]のギリシアの正統派の家父長[族長]の地位で仕えた、勤めたと言われた。彼はアフメト3世(1703-1730)[訳注※3]とマフムト1世(1730-1754)[訳注※4]の後援で歌ったと言われる。彼があだ名「キュルクチュKürkçü[訳注※6]」(毛皮商人)によって知られるように、彼は毛皮の商人であったと仮定されている。ザハルヤ?Zaharyaはおよそ100の作品を作曲した;これらのうちただ19[訳注※5]だけが今日生き残っている。

訳注※1 トルコ語版の同部分の文章にはhânendeとあるのでcantorは指揮者の意味ではなく主唱者の意味かも知れない。ここの部分の文章の意味が良く分らないが「ギリシア正教会の聖歌隊長」という意味か?

訳注※2 おそらく地名と思われるがどこの事か不明。イスタンブル旧市街北西部の金角湾に面したフェネル地区の事か?FenerでググるとトルコのサッカーチームFenerbahçe(フェネルバフチェ)が出てくる。→フェネル地区について。この記事下部の関連記事「イスタンブル旧市街北西部の金角湾に面したフェネル地区」参照

訳注※3 アフメト3世、アフメト三世、アフメド3世、アフメド三世(Ahmed III, 1673年12月30日生まれ-1736年7月1日没)は、オスマン帝国の第23代スルタン(在位:1703年-1730年)。彼の治世中の1718年-1730年の期間はチューリップ時代(ラーレ・デヴリ?ラーレ・デウリ?)と言われる。マフムト1世は甥。

訳注※4 マフムト1世、マフムト一世(Mahmut I, 1696年8月2日‐1754年12月13日)は、オスマン帝国第24代スルタン(在位:1730年-1754年)。

訳注※5 http://www.turkmusikisi.com/bestekarlar/zaharya.htmに記載されているのは18曲。1曲の差は不明。

訳注※6 追記の注。

オスマン朝時代の男性衣装
南・西アジア課程 トルコ語専攻
859611
名雪貴晴
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/tur/theses/1999/nayuki.pdf
第3章 上部の衣装(第3章 上着および上部の衣装)
によれば、

キュルク(kürk)
:毛皮のついた上着。
ヒラットと同じように下賜されていた。

→ヒラット(hilat)
:カフタンのなかでもひときわ豪華なもの。
スルタンの礼服用のカフタンであると同時に、高い官職に任じられた者へ、またスルタンに謁見する者へ下賜されたもの。

→カフタン(kaftan)
:衣装のなかで一番上に着るもので、特に男性のものを言う。
現代でいうジャケットの位置にあたる。
カフタンは「あらゆる種類の上着をいう」のであってスルタンが着用する豪華な上着だけをカフタンというのではない。
「昔の社会ではイェニチェリからスルタン、小さな子供から老人までカフタンを着ていた」という。

キュルクは柔らかく美しい毛皮そのものであると同時に、そうした毛皮に包まれた上着を意味していた。
オスマン帝国の毛皮の流行は16世紀ヨーロッパ全土にわたる毛皮の流行と時を同じくする。
オスマン帝国の毛皮の主な輸入元はロシアであった。
この時期、オスマン帝国の毛皮加工技術は非常に発達し、政府みずからが指導にあたろうとした。
1829 年の服装改革以前にキュルクは大きな権力や富の象徴として重要な意味を持っていた。
ヒラットと同じようにスルタンから地位などに応じて下賜されるものであり、スルタンに謁見する外国使節にも礼服として着用させた。
またこうした種々のキュルクを保護するためにトプカプ宮殿内にはキュルク専用の部屋も設けられていた。
キュルクに使われたのはクロテンやヤマネコ、キツネ、ミンク、オオカミなどの毛皮であった。
そのなかでも特に貴重なものがクロテンのものである。
これらの毛皮は背中、首、腹、足に分けられ、それぞれ毛先から根元部分まで三つに分けられていた。
キュルクで特に価値の高いものはセラーセルの布地とクロテンの毛皮を用いたものである。
また一般的なキュルクは足首まで覆うものだが、膝丈ほどの短いものを特にserhadi と言い、袖のないものをカパニチャ(kapaniça)と言うことがある。

とのこと。

→この情報の元ネタは
護雅夫監修『トプカプ宮殿博物館―スルタンの衣裳』トプカプ宮殿博物館全集刊行会,1980
などらしい。

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2010/11/12
更に追記。
→関連記事
Zaharyaのあだ名Kürkçü
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-129.html

-------------------------------------------
İstanbul Devlet Klasik Türk Müziği Korosu
BESTEKARLAR
1976'DAN BERİ ESERLERİNİ İCRA ETTİĞİMİZ BESTEKARLAR
http://devletkorosu.com/site/index.php?option=com_content&task=view&id=42&Itemid=34
によれば

ZAHARYA
Klasik musikimizdeki Rum bestekârlarımızın en önde geleni olan Zaharya’nın hayatı hakkında geniş bilgiler bulunmuyor. Fener’deki Rum Patrikhanesi’nin hânendesi, yani dini musiki eserleri okuyucusu olduğu bilinmektedir. Üstün bir tanburî olduğu, devrin çok kazançlı işlerinden olan kürk ticaretiyle uğraştığı ve ömrünün sonlarına doğru Müslümanlığa geçip Cemil adını aldığı rivayet edilmektedir. Bazı eski güfte mecmualarında ismi Mîr Cemil yahut Kürkçü olarak da kayıtlıdır. Zamanımıza yirmiye yakın eseri ulaşan bestekârımızın, Ortodoks kilise müziği için de besteler yaptığı bilinmektedir.

改定履歴
2010/05/23
キュルク(毛皮)について追記。

2010/11/12
関連記事「Zaharyaのあだ名Kürkçü」についての情報追加

2013/05/03
関連記事に「オスマン帝国の芸術的な音楽:担う人々の多様性」追加

関連記事
トルコ古典音楽の音楽家Zaharya(ギリシア系)の名は英語でいうZachariah?
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-88.html

イスタンブル旧市街北西部の金角湾に面したフェネル地区
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-87.html

オスマン帝国チューリップ時代の音楽家
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-61.html
→Zaharyaとだいたい同時代の音楽家たちについて記述

Zaharyaのあだ名Kürkçü
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-129.html

オスマン帝国の芸術的な音楽:担う人々の多様性
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-202.html
一部ザハリヤについて記述あり
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