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イスタンブル旧市街北西部の金角湾に面したフェネル地区

イスタンブル(イスタンブール)旧市街北西部の金角湾に面したフェネル地区。

■フェネルのつづり
フェネルはトルコ語でFener、英語でFener , Fanar , Phanar、ギリシア語でΦανάρι(Fanari , ファナリ)と書くとのこと[1]。

■フェネルの意味
トルコ語でフェネルは「1.lantern ランタン 2.lamp ランプ 3.lighthouse 灯台 4.beacon ビーコン 5.flashlight フラッシュライト」の意味とのこと[2]。トルコ語のフェネルはギリシア語のファナリに由来するとの事[3]。

■フェネル地区について
フェネル地区は、イスタンブル(イスタンブール)旧市街北西部の金角湾に面した地区。イスタンブルはかつてコンスタンティノープルと呼ばれていた[4]。この都市がまだ東ローマ帝国[5]の首都だった1453年、オスマン帝国第7代スルタン・メフメト2世はこの都市を攻略し、陥落させ、東ローマ帝国を滅ぼした。陥落後にオスマン帝国によって、もとハギア・ソフィア(古典ギリシア語読みでハギア・ソピアー、中世以降のギリシア語読みでアギア・ソフィア、トルコ語でAyasofya、日本の慣例読みでハギア・ソフィア[6])にあったコンスタンディヌーポリ総主教座はフェネル地区に移された。このためオスマン帝国時代初期の15世紀以来この地区にはギリシャ系の正教徒たちがまとまって住み着くようになった。

■ファナリオティスについて
ギリシャ正教徒の中から経済的にはイスラム法で利子を禁じられているムスリムにかわって手を染めた金融業に成功して富を築き、政治的にはオスマン帝国に役人として仕える家系があらわれるようになった。彼らは貴族的な階層となってオスマン帝国下の正教徒社会に影響力を持つようになり、「ファナルの人」を意味するファナリオティスと総称された。その後、プルート戦争(大北方戦争)(プルート川、プルト川はウクライナ領内から流れ出し、ルーマニアとモルドバの境界をなす川[7])が行われた1711年(23代アフメト3世治世中)に、オスマン帝国の属国であるモルダヴィア公国のディミトリエ・カンテミール公(トルコ名カンテミルオール、カンテミルオオル、Kantemiroğlu、1673生-1723没[8]、1688年から1710年までの22年間イスタンブルで過ごした[8]、フェネル地区にカンテミールの邸宅が残る[9])がルーマニアに侵入してきたロシアのピョートル1世(大帝、1671-1725)に寝返りオスマン帝国に反旗を翻す事件が起こった。これまでモルダヴィアでは、土着のルーマニア人の貴族たちの間から公を選ばせ帝国が公認することになっていたが、ロシアに隣接するモルダヴィアがロシアの影響下に入ることを怖れたオスマン帝国はこれ以降、ルーマニア人と同じ正教徒ながら帝国に忠実であると考えられるファナリオティスの中からモルダヴィア公を選ぶことにした。(マフムト1世の治世以降[10])

2010/06/13追記。
興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和、林佳世子、2008年、講談社
にはファナリオティスのことを「フェネリオット」と表記している。
~ギリシャ正教会に強い影響力を持つイスタンブルのギリシャ系大商人(フェネリオット)~
~総主教座のあるイスタンブルのフェネル地区に住む富裕なギリシャ系大商人(フェネリオット)~


---------------------------------------------------------
2010/04/29追記
Youtubeにあったイスタンブルのフェネル地区にあるギリシア正教会の映像。


改定履歴
2010/04/29
Youtubeのフェネル地区のギリシア正教会の映像を追記
2010/06/13
興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和、林佳世子、2008年、講談社に記載のフェネリオットについて追記

主な参考
ファナリオティス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9

Wikipedia(Wiktionary)関連はいずれも2010/04/15時点の閲覧(将来内容が変わる可能性有り)

その他参考
[1] http://en.wikipedia.org/wiki/Fener

[2] http://en.wiktionary.org/wiki/fener#Turkish

[3] http://en.wikipedia.org/wiki/Fener→[1]と同じ。ここではギリシア語のファナリに由来するとあるが、[2]ではギリシア語のφεγγάριに由来するとあって書いてあることが違う。φεγγάριは
Wiktionary"φεγγάρι"
http://en.wiktionary.org/wiki/%CF%86%CE%B5%CE%B3%CE%B3%CE%AC%CF%81%CE%B9#Greek
によれば「フェンガリ」と読むらしく、意味は1.the Moon 月(暦の) 2.moon (satellite, (lunar) month) 月(衛星の) 3. moonlight 月の光とのこと。

[4] ノート:コンスタンティノープルの陥落
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%99%A5%E8%90%BD
(2010/04/15時点閲覧)
によれば、中世ギリシア語ではコンスタンディヌポリスと呼ばれていたとのこと。
また
コンスタンティノープル#名称
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9#.E5.90.8D.E7.A7.B0によれば
コンスタンティノープルは英語に由来する呼ばれ方とのこと

[5] ビュザンティオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%B3
の記述を参考にすると
東ローマ帝国は英語風に言えばビザンチン帝国・ビザンティン帝国、ドイツ語風に言えばビザンツ帝国になる

[6] アヤソフィア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2

[7] プルト川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%88%E5%B7%9D

[8] ディミトリエ・カンテミール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB

[9] http://en.wikipedia.org/wiki/Dimitrie_Cantemir

[10] マフムト1世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%A0%E3%83%881%E4%B8%96

関連記事
ソラクザデ(1658没)について
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-81.html
→ディミトリエ・カンテミールについて少し記載有り

ガジ・ギレイ・ハン2世(1554-1608)と音楽
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-68.html
→カンテミルについてわずかに記載有り

Zaharya Efendi(Mir Cemil)(?-1740?)について
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-89.html
→フェネル地区についてわずかに記載有り
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