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沖縄の聞得大君とオスマン帝国のシェイヒュル・イスラーム

沖縄には「聞得大君(きこえおおきみ)」という地位の女性がいたそうだ。
沖縄の神女の頂点。

聞得大君
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tibitaww/newpage3.html



~聞得大君

きこえおおきみ 聞きなれない名ですが琉球文化の一翼を担った大変大きな名称なのです
聞得(広く世に知られた)大君(高貴な方に対する美称語)

第二尚氏三世尚真王は王朝の安定を計る一環として古来より伝承された信仰形態を整備ピラ
ミット型神女組織を確立、頂点に聞得大君を置いた~



この聞得大君の話を上のURLで初めて読んだとき、オスマン帝国のシェイヒュル・イスラームに似てると思った。

連載:イスラームはどう変わってきたか? ムハンマドからホメイニまで
第4回 イスラーム帝国の鼎立とイスラーム法学者の活躍
京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科教授 小杉泰
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_world/pdf/200704/history_world200704-4-6.pdf/%E9%AB%98%E4%B8%962007.04-4-6%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%EF%BD%9E%E3%80%8D%E5%B0%8F%E6%9D%89%E6%B3%B0.pdf

~オスマン朝の場合、初期には体制を支える官僚・書記が不足していたため、法学者たちから人材を供給することになった。15世紀以降は、バルカン半島の征服地などから少年を徴用し、官僚・軍人を育てる制度(デヴシルメ制)も生まれたが、法学者を体制の擁護者や裁判官として重用する仕組みも発展した。たとえば、15世紀後半から、法学者の最高位として「シェイヒュル・イスラーム(イスラームの長老)」の称号が用いられ、彼の発するファトワー(法学見解)が重視されるようになった~



神女の頂点、聞得大君と法学者の頂点、シェイヒュル・イスラーム。
尚氏王朝によって神女が体制に組み込まれた、その頂点が聞得大君、
オスマン朝において法学者が体制に組み込まれた、その頂点がシェイヒュル・イスラーム。



沖縄音楽研究の世界
海神のウムイ
http://okinawakengei.blog130.fc2.com/blog-entry-27.html

~国王を頂点とした男性による世俗支配のヒエラルキーと、聞得大君を頂点とした女性による信仰支配のヒエラルキーとが並立している~



オスマン朝でもスルタンを頂点とした世俗支配のヒエラルキーと、ウラマーの世界のヒエラルキーがあったみたいなので、その点でも似てる?
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