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トルコ共和国の行政単位イルilとイルチェilçeとマハッレMahalle

イスタンブルのイルil(İstanbul ili)の下にある行政単位がイルチェ ilçe。

イル ilが単数形でillerが複数形。illerは「イッレル」かな?(トルコ語でのrは「ラ行」で読む)

イスタンブルのイルilの中にあるイルチェ ilçeは以下。


Adalar
Arnavutköy
Ataşehir
Avcılar
Bağcılar
Bahçelievler
Bakırköy
Başakşehir
Bayrampaşa
Beşiktaş
Beykoz
Beylikdüzü
Beyoğlu
Büyükçekmece
Çatalca
Çekmeköy
Esenler
Esenyurt
Eyüp
Fatih
Gaziosmanpaşa
Güngören
Kadıköy
Kağıthane
Kartal
Küçükçekmece
Maltepe
Pendik
Sancaktepe
Sarıyer
Silivri
Sultanbeyli
Sultangazi
Şile
Şişli
Tuzla
Ümraniye
Üsküdar
Zeytinburnu

Wikipedia日本語版"トルコの地方行政区画"
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%E7%94%BB
(2011/03/15閲覧)
によればilを「県」と書いてる。

で、その下の行政単位というか下位自治体ilçeを郡、区、市、などと書いてる。

イスタンブルのイルの下にあるイルチェの場合は「区」と訳すのでいいかな?

Üsküdarのイルチェが東京都の渋谷区と提携してるらしいので。

表記はÜsküdar地区というのを良く見かける気がする。Üsküdar区ではなく。

イスタンブルのイルの下にあるベシタクシュ Beşiktaşのイルチェilçeは更に細かい単位に分かれる模様。
それがマハッレ Mahalle。

イスタンブルのイル>ベシクタシュのイルチェ>ユルドゥズ Yıldızのマハッレ

Wikipedaトルコ語版"Beşiktaş, İstanbul"
http://tr.wikipedia.org/wiki/Be%C5%9Fikta%C5%9F,_%C4%B0stanbul
(2011/03/15閲覧)
によれば、ベシクタシュにあるマハッレは、

Abbasağa
Akatlar
Arnavutköy
Balmumcu
Bebek
Cihannüma
Dikilitaş
Etiler
Gayrettepe
Konaklar
Kuruçeşme
Kültür
Levazım
Levent
Mecidiye
Muradiye
Nisbetiye
Ortaköy
Sinanpaşa
Türkali
Ulus
Vişnezade
Yıldız

とのこと。

マハッレは
Wikipedia英語版"Mahalle"
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahalle
によれば
(2011/03/15閲覧)

Mahalle (Arabic: محلة‎‎ maḥallä) is an Arabic word, adopted into Turkish which usually translates into "neighborhood". It is an official administrative unit in many Middle Eastern countries. In the Ottoman Empire the mahalle was the smallest administrative entity. The mahalle is generally perceived to play an important role in identity formation, with the local mosque and the local coffee house as the main social institutions. Mahalle lays at the intersection of private family life and the public sphere. Important community-level management functions are performed through mahalle solidarity, such as religious ceremonies, life-cycle rituals, resource management, conflict resolution, and the like.
The mahalle is represented to the municipality and government by its Muhtar. 'Muhtarlik' (the office of Muhtar) has been designed as the smallest administrative office, with representative and enforcement powers at the local level. However, in some cases, the muhtar acts as not only the representative of the government towards the community, but also the head of the community towards the government; subverting official government policies through intricate face-to-face mahalle-level relationships.

とのこと。

この記事トルコ語から英語に翻訳されたもの?

アラビア語のマハッラに由来するらしい。
そういえばバグダードのマハッラ(街区)という語をどこかで見かけた記憶が…

イスラムアート紀行
ウズベキスタンの宝物、「マハラ」
http://orientlib.exblog.jp/11561403/
に日本語でわかりやすく、詳しく書いてあった。

~ウズベキスタンのことが語られるときに、時々登場する言葉マハラ。たとえば、中央アジアでの日本語弁論大会で優勝したA君のスピーチの中に、こんな一節がありました。
「ウズベクには“マハラ”という、日本の町内会のような、組織があります。“マハラ”が親代わりになったり、結婚式、お葬式など、めでたいことや困ったことなどを、お互いに助けあいます。ひとつのマハラは3 Km 四方ぐらいの広さで、約 2,000 人ぐらいの人が住んでいます」~

~『社会主義後のウズベキスタン ~変わる国と揺れる人々の心』(ティムール・ダダバエフ/アジア経済研究所発行)、この本はウズベキスタン出身の著者自身の経験や人々へのインタビューによって構成されている新書~

~以下「 」内は同書から引用させていただいています。
「マハッラと呼ばれるコミュニティは、ウズベキスタンの人々のアイデンティティ形成において重要な役割を果たす人的ネットワークの代表例である」
「マハッラとは、アラビア語で都市の住宅地域に見られた街区あるいはいくつかの街区を合わせた行政単位を意味する。これは、いわゆるイスラーム世界の伝統的な都市に広く見られる。8世紀以降、徐々にイスラーム化の進んだ中央アジアでも、この語は都市の街区や農村地域の地区などの意味で用いられてきた」
「マハッラは、都市社会のもっとも基本的な単位であり、都市の住戸はいずれかのマハッラに所属しているのが普通であった」
「中央アジア南部のオアシス地域では、個々の住宅は高い粘土壁で囲まれたスペースに中庭を設け、その周りに住居空間を配置するのが一般的であり、これらの住宅を細い路地で結びながら、生活と行政の側面で近隣コミュニティとして機能してきたのがマハッラである」~






イスマイル・ハック・ベイについて
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-14.html
で訳したが、

~イスマイル・ハック・ベイは1865年にイスタンブルのバラト地区で生まれた~

これは下記の英文の翻訳
Ismail Hakki Bey was born in 1865 in Istanbul's Balat district.

おそらくこの英文は下記のトルコ語文の翻訳
1865 yılında İstanbul'un Balat semtinde doğdu.

semtってあるなぁ。
semtは

sozluk.com
http://www.sozluk.com/sozluk.php?kelime=semt
で調べると

Türkçe-İngilizce »
1. district, whereabouts, neighborhood, neighbourhood [Brit.], parts, part, locality

あれ、ベシクタシュのイルチェの下はマハッレだけだと思ってたけど、Semtというのもあるのか?

Wikipediaトルコ語版"Beşiktaş (semt), Beşiktaş"
http://tr.wikipedia.org/wiki/Be%C5%9Fikta%C5%9F_(semt),_Be%C5%9Fikta%C5%9F
の一番下に


Beşiktaş ilçesinin mahalleleri

· Abbasağa
· Akatlar
· Arnavutköy
· Balmumcu
· Bebek
· Cihannüma
· Dikilitaş
· Etiler
· Gayrettepe
· Konaklar
· Kuruçeşme
· Kültür
· Levazım
· Levent
· Mecidiye
· Muradiye
· Nisbetiye
· Ortaköy
· Sinanpaşa
· Türkali
· Ulus
· Vişnezade
· Yıldız

Semtler:
· Akaretler
· Aşiyan
· Beşiktaş
· Çırağan
· Darphane
· Dolmabahçe
· Ertuğrul
· Ihlamur
· Karanfilköy
· Maçka
· Serencebey
· Valideçeşme

とある。

イスマイル・ハック・ベイの生まれたBalatは

イスタンブルのイル>Fatihのイルチェ>Balatのマハッレ
になってる

Wikipediaトルコ語版"Fatih, İstanbul"
http://tr.wikipedia.org/wiki/Fatih,_%C4%B0stanbul
(2011/03/15閲覧)




クユムジュ・オスキヤムKuyumcu Oskiyam(1780?-1870?)について
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-71.html
アルメニア系の彼は

タンブールとネイの奏者、オスキヤムは、イスタンブルのSamatya地区で生まれ、没した。
A player of tanbur and ney, Oksiyam as born and died in Istanbul’s Samatya quarter.

とある。

該当するトルコ語文のところ。
OSKİYAM

Tanbûrî ve Neyzen, Kuyumcu, Samatyalı (1780?-1870?). Ermeni asıllı tanbûrî ve neyzen. İstanbul Samatya’da doğmuş, aynı yerde öldü.

Samatyaは
イスタンブルのイル>Fatihのイルチェilçe>Samatyaのsemt
になるようだ。




レオン・ハンジュヤン(1857-1947)
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-138.html

レオン・ハンジュヤンLevon Hancıyan/Leon Hancıyan(1857-1947)
アルメニア系の作曲家。ハンジュヤンはイスタンブルのハスキョイHasköyで生まれた。

Levon Hancıyan(1857-1947)
Armenian composer. Hancıyan was born in Hasköy, Istanbul.

Levon Hancıyan(1857-1947)
Ermeni asıllı bestekâr. İstanbul’da Hasköy’de doğdu.

イスタンブルのイル>Beyoğluのイルチェ>Hasköyのsemt

彼(=ハンジュヤン)はDârülelhânで働いた。そして彼が亡くなった時、彼はバクルキョイ・アルメニア墓地に埋葬された。

He worked in Dârülelhân and when he died, he was buried in Bakırköy Armenian cemetery.

Dârülelhân’da çalışmış, Bakırköy Ermeni mezarlığına gömülmüştür.

イスタンブルのイル il>バクルキョイのイルチェ ilçe






イスマイル・ハック・ベイの生まれたBalat
(イスタンブルのイル>Fatihのイルチェ>Balatのマハッレ)

Levon Hancıyan(1857-1947)の生まれたHasköy
(イスタンブルのイル>Beyoğluのイルチェ>Hasköyのsemt)

対岸?かな?
Googleの地図で見るとFatih地区のBalat公園とBeyoğlu地区のHasköy公園は金角湾(英語:Golden Horn、トルコ語:Haliç)を挟んで対岸のように見える。




ブルガリア研究室
オスマン統治下のブルガリア①
3.オスマン統治下のブルガリア人
(4)町の生活
http://79909040.at.webry.info/201012/article_5.html

~オスマン帝国の都市の中心部には、行政機関、軍隊の建物が多かったが、その周辺部はmahallaと呼ばれ、マハラ(部落)は、民族別、職業別、或いは時として双方に基づき形成されることが多かった。例えば、大都市には、キリスト教徒の靴屋部落、ムスリムの靴屋部落、が別々に存在した。マハラの中では、通りは狭く、家屋は道筋に向かって面していることは少なく、むしろ内庭に向かって建てられていた~


----------------------------------------------------------------------

トルコ新聞記事翻訳ハンドブック
ホーム > トルコを知る_組織編 > 7.地方行政
http://www.tufs.ac.jp/common/fs-pg/portal/sien/trmeis/?page_id=83
によると、基本的には

il:県
ilçe:郡

になってる。
※ただし、県中央のilçeの場合、郡にならず、市になる。

il:県
ilçe:市(県中央の場合)

※また、イスタンブル、ブルサ、イズミルなど広域市では

il:市
ilçe:区(広域市の場合)

そして、ilçeの下にKöy、Mahalleがあって、Köyは村Mahalleは街区、となっている。

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2011/05/26追記
マハッレについて↓すごく勉強になった!

オスマン朝期アレッポにおける都市空間と地方行政
Urban Space and Local Government in Ottoman Aleppo
東洋文庫・イスラーム地域研究資料室(イスラーム地域研究東洋文庫拠点)共催 特別講演会(2008/06/27)
シュテファン・クノスト Stefan KNOST (日本学術振興会外国人特別研究員/東洋文庫特別研究員)
http://www.tbias.jp/pdf/resume(knost).pdf



~イスタンブルの街区(マハッレ)(18・19 世紀のカサブ・イルヤス・マハッレスィ)を研究しているジ
ェム・ベハール(Cem Behar)はこのように書いている。

「マハッレ」とは本質的に、地方行政単位である「区」である以前に、網の目のような人間関係によっ
て規定される都市のなかの基礎的共同体であった。

彼の研究はこのような摘要を含む。彼のイスタンブルの街区(マハッレ)は、モスク(または教会やシ
ナゴーグ)の周りに組織された行政・社会・宗教単位である~

こんな所でジェム・ベハール(「トルコ音楽にみる伝統と近代」の著者、訳:新井 政美)の名前を見るとは…
この引用されてるジェム・ベハールのマハッレの説明を読むと、マハッレは日本でいう町内会みたいなものなのかなー、と感じる。



改定履歴
2011/03/25
「オスマン統治下のブルガリア①」よりマハラの部分を転記

2011/03/28
トルコ新聞記事翻訳ハンドブック
ホーム > トルコを知る_組織編 > 7.地方行政
の情報を追記

2011/05/26
「オスマン朝期アレッポにおける都市空間と地方行政」の情報を追記。
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テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

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