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カラギョズとは

(注:これはネットで集めた文章を適当にまとめたものである。情報の信頼性に注意。例えば2003年UNESCOにより無形文化材に指定された、と書いたが実際に指定されたのはトルコ落語メッダフMeddahの模様)

カラギョズ(トルコ語:Karagöz)は、トルコの伝統的な影絵芝居である。また、それと同時に、登場する主人公の名前でもある。よく演じられる劇の主人公の名前がカラギョズというのでこの名で呼ばれるようになった。カラギョズとはトルコ語で「黒い瞳」の意である(カラが「黒い」)。

相棒のハジワット(トルコ語:Hacivat)とともに繰り広げる道徳や哲学、一般常識的なことをわかりやすくまとめた風刺劇である。登場人物も多く、スクリーンに映し出される彼らは、身近に必ずいるようなタイプや自分自身に置き換えられるような人々ばかりである。風刺を交えて語るカラギョズたちの言葉によって現れる世界は、スルタンから庶民にまで至る幅広い人々の心をとらえて離さなかった。聴衆は劇に引き付けられ、長い間人々の心を掴む娯楽、オスマン帝国時代から人々に愛された大衆娯楽となった。

主人公カラギョズはほとんど教養のない人物で、普段は職につかず、金儲けの話になるとすぐに飛びつきいつも失敗してばかりいる。裏表のない性格で時には少し無礼なこともしてしまう。カラギョズとは対照的に相棒のハジワットは教養深く聡明で、詩や文学に精通している。

カラギョズとハジワットは実在の人物とも言われている。伝説によると14世紀にブルサ(トルコ語:Bursa)の街でモスクを建設する労働者だったと言われている。

その昔、アナトリアは君侯国(トルコ語:Beylik , ベイリク)と呼ばれる国々に分かれており、それぞれの国をそれぞれの君主が治めていた。その中でオスマン侯国(トルコ語:Osmanoğlu)がアナトリア最強の君侯国となっていった。オスマン侯国の君主オスマン・ベイ(=オスマン帝国第一代君主オスマン1世 , トルコ語:I. Osman , 1258-1326 , 在位:1299-1326)の後を継いだ息子のオルハン(=オスマン帝国第二代君主 , トルコ語:Orhan , 1284-1359? , 在位:1326-1359?)の時代、ブルサの街の獲得に成功し、ここにオスマン帝国の最初の首都が誕生した。人々も明るい光が差し込む気配を感じ、あちらこちらから寄り集まるようになった。まちづくりの中心には、その時代のスルタンの偉大さを象徴するものとしてモスクが建てられていた。そのまちで暮らす人々の生活を豊かにし、安心を与えたいと願うスルタンの思いと、そのスルタンを敬い慕う人々の思いがモスク建設に込められていた。

そのモスク建設現場で鍛冶屋のカラギョズと左官屋のハジワットは働くことになった。2人のいる現場はいつも楽しく話に花が咲いていた。彼らは面白い話を聞かせては他の職人たちを笑わせた。その度に仕事の手が止まってしまうこともあった。しかし、カラギョズとハジワットはもちろんのこと、ほかの職人たちもモスク建設に参加できることを誇りに思い、尊敬するスルタンが遠征に出掛けている間にモスクを完成させて喜んでもらいたい一心で仕事に精を出すのだが、思うように進まなかった。

ある時、長い遠征からスルタンが戻ってきた。その夜はスルタンを囲んで無事の帰還を祝う宴が催され。カラギョズとハジワットも同席していた。スルタンも久しぶりに聞く2人の話に目を細めて耳を傾けていた。誰もが気を揉むモスク建設の遅れについて、彼らは皮肉を交えて次のような話をした。

モスクが完成したら仲間と別れるのはつらいが、我々職人は晴れてお役御免となる。だが、我々以上に現場から用済みになるのを嫌がっている輩もいるのだ、と。

スルタン自身もモスクがまだ完成しそうにない様子に苛立ち、現場責任者にたずねた。

「なぜ遅れているのか」「邪魔者がいるのです」「ならばその邪魔者を消せばよいであろう」

それからまたスルタンは遠征に出掛けて行った。その間に邪魔者が消された。スルタンの怒りを収めるため、現場責任者はモスク建設の遅れをカラギョ ズとハジワットのせいにし、2人を処刑した。後日スルタンは真実を知ってひどく心を痛めた。

そこへシェイフ・キュシュテリ(トルコ語:Şeyh Küşteri , Şeyh Kûşteri , Şeyh Mehmet Küşteri , Mehmet Küsteri Dede)なる人物が現れる。彼はスルタン・オルハンのそばに就いて相談役を務めている人物であった。処刑を止められなかったことに責任を感じていた彼は「2人をここに連れてきましょ う!」と頭に巻いたターバンの布をサッと広げ、ロウソクの光を当てると、そこに影が浮かび上がった。彼は自分の靴を脱ぎ、手を入れて スクリーンの前に出した。右側にカラギョズ、左側にハジワット。いつもの2人が並んで立っていた。キュシュテリは単にスルタンを安心させるためだけではなく、カラギョズたちを愛して止まない人々のためにも2人を呼び戻したのであった。2人が戻ってきた現場では順調に仕事が進み、モスクは無事に完成した。

その後、カラギョズとハジワットを忘れることのないよう影絵演劇を続けるようにスルタンより命令が下された。この時を境にカラギョズたちを操る人たちをカラギョズ師(トルコ語:Karagözcü , hayalî , hayalbaz)と呼び、影絵演劇「カラギョズ」として行われるようになった。

また、彼らの記念碑がブルサのチェキルゲ(トルコ語:Çekirge)地区(一般には温泉街として知られる)に建てられている。2007年にブルサにカラギョズ博物館が開館した。

影絵劇で使用される人形(トルコ語:tasvir)は35~40cmの大きさで、らくだ又は牛の皮で作られ色が塗られている。白い幕を張り、後ろから光を当てて人形の影を映し出す。人形を操る職人は名人ひとりとアシスタントが1~2人である。名人は声色や方言を変えて全ての登場人物の台詞を話しながら人形を操る。歌は他のメンバーにより歌われ、多種多様な音楽やタンバリンの音色も効果的である。

カラギョズの上演は4つの部分から成る。ムカッディメMukaddime、ムハヴェレMuhavere、ファシルFasil、
ビティシュBitiş。

カラギョズとハジワット以外の登場人物は、酒瓶を抱えた酔っ払いのテュズスズ・デリ・ベキルTuzsuz Deli Bekir、長い首のウズン・エフェUzun Efe、パイプを燻らせるアヘン常用者カンブル・ティルヤキKanbur Tiryaki、エキセントリックな小人アルテュ・カリシュ・ベベルヒAltı Kariş Beberuhi、間抜けのデンヨDenyo、浪費家ジヴァンCivan、軽薄な女性ニガールNigâr、トルコ語が話せないアラブ人(典型的には乞食、デザート売り)、黒人の奴隷女、(カフカスの)チェルケス人の奴隷少女、アルバニア人の警備員、ギリシア人(普通、医者)、アルメニア人(通常、下男あるいは両替商)、ユダヤ人(普通、金細工職人あるいは廃物商)、(トルコ東部に住む)ラズ人(通常、船頭)、ペルシア人(アゼリ語のアクセントで詩を朗誦する)などがいる。

人形たちはトルコ人を初め、アラブ人やユダヤ人、ヨーロッパ人など それぞれの特徴をとらえた服装や持ち物でかたどられている。

かつて語られた話は数多く、これらはすべて師匠から弟子へと口伝えによって語り継がれていた。

人形たちが登場する場所、スクリーンはカラギョズの生みの親といわれるシェイフ・キュシュテリにちなんで「キュシュテリ広場」と呼ばれている。この「キュシュテリ広場」にカラギョズ師を通してカラギョズたちが集まる。そこには人形としての影が映るのではなく、ロウソクの火を受けて彼らが持つ光そのもので光の影となって、彼ら自身と彼らの世界を映し出す。映し出された彼らは魂であり、それは私たちそのもの、そして私たちの世界なのである。ロウソクの火が消えるとき私たちの世界も光を失う、それはまるで「鏡」に映る世界である。

影絵芝居の起源は中国であるという(宋代に文献[→事物紀原]にあらわれる)。また東南アジア・インドネシアのワヤンWayangは15世紀半ばくらいから白い幕に影を投影するようになったのではないか、と推測されている。イスラーム圏に最初に伝わったのはエジプトであった。

カラギョズが最初に演じられたのがいつなのかはっきりしない。16世紀にオスマン帝国のスルタンが影絵劇を命じたのが始まりとも言うし、14世紀末という説もある。伝えられているところによると、最初のカラギョズの上演はオスマン帝国によるエジプトのマムルーク朝の征服の際、つまりセリム1世(=オスマン帝国第九代君主 , トルコ語:I. Selim , Yavuz Sultan Selim , 1465-1520 , 在位:1512-1520)の時代で、エジプトにおいてであった。エジプト人がこの影絵劇をスルタンに献上したと言う。しかし17世紀の旅行家エヴリヤ・チェレビ(トルコ語:Evliya Çelebi , 1611-1682)によればバヤズィト1世(=オスマン帝国第四代君主 , トルコ語:I. Bayezid , Yıldırım , 1360-1403 , 在位:1389-1402)の宮廷が最初と言う。

オスマン朝に持ち込まれたその文化は次第に、庶民のものとなっていった。17世紀までには、カラギョズは現代見られるような姿になっていた。

カラギョズとハジワットの影絵劇は17~19世紀のオスマン帝国時代にスルタンから庶民まで広く楽しまれた。1年を通じて広範囲に公共の場所で、劇場やコーヒーハウス(トルコ語:Kahvehane , カフヴェハーネ)、又は割礼式や宴の際、個人の家などで上演されていたが、特にラマダン(断食)期間中は毎日のように夜間公演が行われラマダンの楽しみのひとつであった。テレビや映画のない時代の娯楽として最も人気を集めていたが、残念ながら今では人形を操ることができる職人の数も減り、特別な時にしか上演されなくなったが国内公演だけでなく海外公演もしながらカラギョズの伝統を守りつづけている。

現代において、カラギョズは過去のようにトルコの大衆娯楽の大部分を占めているわけではない。現在はカラギョズ上演がライブではなくテレビ放送になってしまったり、ほとんどのライブが外国人観光客向けにホテルやレストランで上演されるのみになってしまった。しかし、カラギョズをトルコの伝統芸能として残していこうという動きは見られる。トルコ国家国際指人形・影絵統括連盟(通称UNIMA)が現在、トルコ文化省の指導のもと、カラギョズの研究を進めている。

名人としてハヤリ・キュチュク・アリHayali Küçük Ali(Mehmet Muhittin Sevilen , 1886-1974)というカラギョズ師が知られている。

2003年UNESCOによりその歴史的背景から、継承と発展の目的からなる無形文化財に指定された。

2005年「Hacivat Karagöz Neden Öldürüldü?」(ハジヴァト、カラギョズは何故殺されたのか)というカラギョズに題材を取ったトルコ映画が製作された。

2007年ブルサの街にカラギョズ博物館が開館している。

カラギオジスもしくはカラギョージス(ギリシア語:Καραγκιόζης , 英語:Karagiozis ,Karaghiozis)はトルコのカラギョズKaragözに由来する影絵人形芝居である

類似する影絵芝居に中国のピーインシー(中国語:皮影戏 , pí yĭng xì , 日本語での漢字表記:皮影戯)あるいはノンインシー(弄影戯)、インドネシアのワヤン・クリッwayang kulit、タイのナン・ヤイ(タイ語:หนังใหญ่ , Nang yai)、ナン・タルン(タイ語:หนังตะลุง , Nang talung)、カンボジアのスバエク・トム、スバエク・トーイなどがある。その他マレーシアやインドにも影絵芝居が存在する。

改定履歴
2010/06/21
カラギオジスにカラギョージスを追記。

(参考元サイト)

JP-TR / 日本-トルコ
トルコの観光・伝統文化の総合サイト
カラギョズ(Karagoz)とハジヴァト(Hacivat)
http://www.jp-tr.com/icerik/unluler/karagoz.html

カラギョズにつぃて
http://www.karagozcollection.com/2010/02/blog-post.html

13th International Bursa Karagoz Puppet & Shadow Theatre Festival
http://www.karagozcollection.com/2009/12/13th-international-bursa-karagoz-puppet.html

カラギョズ ミュージアム
http://www.karagozcollection.com/2009/12/httpwww.html

現代のトルコにおける伝統芸能:民族ダンスとカラギョズ
森かおり
駒崎 加奈
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ders/seminar/mori_komazaki.htm

中国都市芸能研究会
中国城市戏曲研究会|中國城市戲曲研究會
『都市芸研』第七輯/江南皮影戯初探
江南皮影戯初探
http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/~chengyan/index.php?%E3%80%8E%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%8A%B8%E7%A0%94%E3%80%8F%E7%AC%AC%E4%B8%83%E8%BC%AF%2F%E6%B1%9F%E5%8D%97%E7%9A%AE%E5%BD%B1%E6%88%AF%E5%88%9D%E6%8E%A2

中国の影絵芝居
http://www.fl.reitaku-u.ac.jp/~kanamaru/kagee/

kotobank
影絵芝居
http://kotobank.jp/word/%E5%BD%B1%E7%B5%B5%E8%8A%9D%E5%B1%85

TEAMしゃからのビート板なら200海里
2010年02月05日
影絵芝居みようぜ
http://neko77.hamazo.tv/e2245588.html

ワヤンについて
松本 亮
http://www.kt.rim.or.jp/~banuwati/mon-f.html

Karagöz and Hacivat
http://en.wikipedia.org/wiki/Karag%C3%B6z_and_Hacivat
↑2010/05/04閲覧

freebird in Turkey
カラギョズを上演するキョフテ屋さん
2008.05.08
http://freebirdinturkey.blogspot.com/2008/05/blog-post.html

当ブログ内関連記事
カラギョズの影絵芝居における伝統的なトルコの音楽
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-101.html
カラギョズで歌われる歌曲
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-102.html
レベティカと同時代に流行したギリシアの影絵芝居カラギョージス
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-109.html
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テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

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