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バルカン諸国の歴史 ~オスマン帝国の遺したもの~

バルカン諸国の歴史 ~オスマン帝国の遺したもの~
特集 土木遺産IX ~バルカン諸国/多民族地域における土木文化~
永田 雄三 財団法人東洋文庫研究員
http://www.jcca.or.jp/kaishi/250/250_toku1.pdf

勉強になった!

~オスマン帝国(1300頃~1922年)支配がバルカン諸国の社会に残した歴史的遺産の重要性が、東欧社会主義圏の崩壊以後、再認識されている~

というのが面白い。
バルカン諸国のオスマン帝国時代の音楽も再認識されるようになるのかな?

オスマン時代、バルカンではどのようなオスマン音楽が行なわれていたのだろう?
テッサロニキ(現ギリシア領)やサライェヴォ(旧ユーゴスラビア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)、ソフィア(現ブルガリア領)、ベオグラード(旧ユーゴスラビア領、現セルビア領)といった街ではどのような芸術音楽が行なわれていたのだろう?

・ベオグラード(何度もオスマン帝国支配を離れる、オスマン帝国の支配は1815年くらいまで?)
・サライェヴォ(1878年まで?支配)
・ソフィア(1878年まで支配)
・テッサロニキ(1912年まで支配)

デデ・エフェンディが1778年生まれ~1845年没なので、ベオグラードでデデ・エフェンディの歌が演奏されるのには無理があるのかなー


~スレイマン1世(在位1520~1566年)の晩年の大宰相ソコルル・メフメト・パシャである。1505年頃、ボスニア
の片田舎ソコロヴィッチ村に生まれた彼は~

ソコロヴィッチ村に生まれたということは、「ソコルル」の最後の「ル」は~出身を意味する「ル」なのかな?

Turkish
トルコ語 -- 語尾・名詞編
http://easai.web.fc2.com/linguistics/Turkish/273/
によれば、

■-li 「~出身」

出身を表す、-li という語尾は、国名・都市名につけて「~出身」という表現ができます。

Ankaralıyım
アンカラ出身です。



ヒエラルヒー 【(ドイツ)Hierarchie】
デジタル大辞泉の解説
http://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%BC?dic=daijisen

上下関係によって、階層的に秩序づけられたピラミッド型の組織の体系。
狭義では、カトリック教会の教皇を頂点とする聖職者の位階制。
広義では、中世の封建社会の身分秩序をさすが、現代では指揮・命令系統によって整序された軍隊や官僚機構についていう。
位階制。身分階層制。ヒエラルキー。


ヒエラルキー(Hierarchie)はドイツ語、 ハイアラーキー(hierarchy)は英語での読みらしい。


アメニティ【amenity】
流通用語辞典の解説
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3

快適さのこと。企業や商店街が消費者に提供するサービスの一つで、環境の快適さを意味する。環境快適サービスは、たとえば小売業の場合、店舗や商店街区の美観、とくに掃除施設の整備、駐車場、サービス・エリアの充実、BGMといった場所的サービスと、スピード、タイミング、営業時間といった時間的サービスに分かれる。従来の気分快適サービス(リップ・サービス、プレミアム・サービス、情報サービスなど)とともに、消費者のニーズの変化にともなって、アメニティ志向が強まってきている。


~こうしたハードな文化だけではなく、バルカン諸語へのトルコ語の影響、料理・服飾・音楽・舞踏のようなソフトな文化の名残りも今日確認することができる。現代ギリシアの音楽と舞踏には、さまざまな側面に「トルコ」の影響が見られるのがその例である。広場などで人々が輪になって踊るホロスの一形態であるゼイベキコスや、下町の居酒屋で歌われ、踊られるレベティコスにはトルコ音楽の影響が濃厚に見られる~

ルーマニアの民俗音楽で、沿岸部のドブロジャ地方などで行なわれている舞踊音楽にジャムパラーレ(geamparale)というのがあるらしい。これもトルコ的なものじゃないかなー?


詩人バイロンが病死したミソロンギ=ギリシアにある(ギリシャ語でΜεσολόγγι)
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テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

沖縄の聞得大君とオスマン帝国のシェイヒュル・イスラーム

沖縄には「聞得大君(きこえおおきみ)」という地位の女性がいたそうだ。
沖縄の神女の頂点。

聞得大君
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tibitaww/newpage3.html



~聞得大君

きこえおおきみ 聞きなれない名ですが琉球文化の一翼を担った大変大きな名称なのです
聞得(広く世に知られた)大君(高貴な方に対する美称語)

第二尚氏三世尚真王は王朝の安定を計る一環として古来より伝承された信仰形態を整備ピラ
ミット型神女組織を確立、頂点に聞得大君を置いた~



この聞得大君の話を上のURLで初めて読んだとき、オスマン帝国のシェイヒュル・イスラームに似てると思った。

連載:イスラームはどう変わってきたか? ムハンマドからホメイニまで
第4回 イスラーム帝国の鼎立とイスラーム法学者の活躍
京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科教授 小杉泰
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_world/pdf/200704/history_world200704-4-6.pdf/%E9%AB%98%E4%B8%962007.04-4-6%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%EF%BD%9E%E3%80%8D%E5%B0%8F%E6%9D%89%E6%B3%B0.pdf

~オスマン朝の場合、初期には体制を支える官僚・書記が不足していたため、法学者たちから人材を供給することになった。15世紀以降は、バルカン半島の征服地などから少年を徴用し、官僚・軍人を育てる制度(デヴシルメ制)も生まれたが、法学者を体制の擁護者や裁判官として重用する仕組みも発展した。たとえば、15世紀後半から、法学者の最高位として「シェイヒュル・イスラーム(イスラームの長老)」の称号が用いられ、彼の発するファトワー(法学見解)が重視されるようになった~



神女の頂点、聞得大君と法学者の頂点、シェイヒュル・イスラーム。
尚氏王朝によって神女が体制に組み込まれた、その頂点が聞得大君、
オスマン朝において法学者が体制に組み込まれた、その頂点がシェイヒュル・イスラーム。



沖縄音楽研究の世界
海神のウムイ
http://okinawakengei.blog130.fc2.com/blog-entry-27.html

~国王を頂点とした男性による世俗支配のヒエラルキーと、聞得大君を頂点とした女性による信仰支配のヒエラルキーとが並立している~



オスマン朝でもスルタンを頂点とした世俗支配のヒエラルキーと、ウラマーの世界のヒエラルキーがあったみたいなので、その点でも似てる?

テーマ : トルコ
ジャンル : 海外情報

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