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オスマン帝国のスルタン・アブデュルアジズの絵画

アートを愛したスルタン;アブデュルアジズと絵画
http://blog.goo.ne.jp/sachiko-lale/e/780f395a1d1c6be4ae38d194a76f1032

このようなブログを見かけた。
オスマン帝国のスルタン、アブデュルアズィズが絵画を描いていたとは知らなかった。

2013年、「ドルマバフチェ・アート・ギャラリー」で、国際文化・美術協会(UKSD)後援による「スルタン・アブデュルアジズと絵画」という展覧会が開催された、とのこと。

その展覧会の学芸員メフメット・リュトフィ・シェンによると、オスマンのスルタンは日常的に美術や絵画に関わっていた、とのこと。また、スルタン・アブデュルアジズが幼いとき、絵のレッスンを受けていたことは知られているとのこと。

Hürriyet紙の記事が元?



オスマン帝国のスルタン、アブデュルアズィズが作曲をしていたことは以前ブログの記事で書いた。

オスマン帝国第32代皇帝アブデュルアズィズ(1830-1876)とトルコ音楽
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-51.html

İstanbul Devlet Klasik Türk Müziği Korosu
http://devletkorosu.com/
のサイトから行ける「Türk Müzik Kültürünün Hafızası」というWebサイトの作曲家Bestekarのところで、Abdülaziz Han(Sultan)と検索すると、3つの声楽曲が見つかる。

Bi-huzurum nale-i mürg-i dil-i divaneden
Ettiğinden utanmazsın
Ey nev-bahar-ı hüsn ü an

の3曲。

また、「Abdülaziz Han (Sultan)」の語で検索すると[先程とは違い、Hanと(の間に半角のスペースが入っている]、1つの器楽曲が見つかる。

Hicaz Sirto

4曲とも.tifの形式の楽譜を入手することが出来る。




Lalezar: Music of the Sultans, Sufis & Seraglio, Vol. 1 - Sultan ComposersというCDでオスマン帝国のスルタン、アブデュルアズィズが作曲したBi-huzurum nale-i mürg-i dil-i divanedenと器楽曲Hicaz Sirtoを聞くことが出来る。

http://www.amazon.co.jp/Sultan-Composers-Lalezar/dp/B0043JXE16/



このCDについて、以下のサイトが論評してる。
トルコ古典音楽(1)
http://www.jttk.zaq.ne.jp/indra/Music/World/Turkey/Turkey.htm

器楽曲Hicaz SirtoはフランスのAUVIDISから出たFASL Musique de l'empire ottoman(Ensemble de Kudsi Erguner)のCD(現在廃盤と思われる)の最後でも聞くことが出来る。

仏AUVIDIS ETHNIC
FASL : Musique de l'Empire Ottoman
MAKAM HIDJAZ HOUMAYOUN
Ensemble de Kudsi Erguner
B6737
1990年

このCDについては自ブログでも書いた。
FASL : Musique de l'Empire Ottoman / Ensemble de Kudsi Erguner
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-130.html


トルコのSonyが出したOsmanlı Mozaiğiという7枚組みのCDの6枚目、CD 6: Sultan Bestekârlar / Sultan Composersで、Ey Nevbahar-ı Hüsnü Anと器楽曲Hicaz Sirtoを聞くことが出来る。

http://www.esenshop.com/detail.aspx?id=14941

(Osmanlı MozaiğiのSultan Bestekârlarについては、似たような名前で違うCDがあるので注意)
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テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

マフムト2世の音楽作品

オスマン帝国第30代君主マフムト2世、マフムト二世、マフムド2世、マフムド二世(トルコ語:II. Mahmut , 1785-1839)の音楽作品の一覧が、

Türk Mûsikîsi
http://www.turkmusikisi.com/
の作曲家 > スルタン・マフムド二世のページ
http://www.turkmusikisi.com/bestekarlar/sultan_2_mahmud.htm
にある。

その中に
Makam:Acem Aşiran
形式:Marş
曲名:Artar cihadda şanımız
Usûl:(空欄)
という曲がある。

http://www.trtnotaarsivi.com/
で調べたら

Artar cihatla şânımız
Repertuar No: 18454
Eserin İlk Dizesi: Artar cihatla şânımız
Söz Yazarı: _
Makam: Acem Aşîran
Form: Mehter
Usul: Sofyan
Bestekar: _ (S.II Mahmud) Öztunada

となっていた。
曲名(歌詞の最初の部分)がturkmusikisi.comとtrtnotaarsivi.comで少し違う。

turkmusikisi.com:Artar cihadda şanımız
trtnotaarsivi.com:Artar cihatla şânımız

楽譜は
http://www.trtnotaarsivi.com/arsiv/tsm/18001-19000/18454.gif

旋律を読み取ってみると、Mehterで聞いたことがある曲。

楽譜の題名部分に、画像が小さくて読み取りにくいが、CİHAD-I EKBER MARŞIとあるように見える。

→トルコ語のVikikaynakに歌詞発見
http://tr.wikisource.org/wiki/Cihad-%C4%B1_Ekber_Mar%C5%9F%C4%B1

Cihad-ı Ekber Marşı

Artar cihadla şanımız
Fahr-i resul Sultanımız
Şer'i bize ihsan-ı Hak,
Uğrunda aksın kanımız.

Osmanlıyız, Osmanlıyız
Ünvanlı, namlı, şanlıyız
Allah deyüp cenk ederiz
Var nusrete imanımız

→楽譜の画像の歌詞とちょっと違う。

歌詞の出だし
turkmusikisi.com:Artar cihadda şanımız
trtnotaarsivi.com:Artar cihatla şânımız
Vikikaynak:Artar cihadla şanımız

şanımızのaとşânımızのâは、まあ、無視して良いと思う。
cihatlaのtとcihadlaのdの違いも、まあ、無視しても良いと思う。トルコ語化してdがtになったのでは?
turkmusikisi.comでのcihaddaは誤字だろうか?

歌詞が大きく違う所もある。
Osmanlıyız, Osmanlıyızの部分がTürk oğluyuz, Türk oğluyuzになっているように見える。
→今はオスマン帝国の時代ではなく、トルコ共和国の時代だからこの部分の歌詞が変わった?

キングレコードの「トルコの軍楽」の9曲目、曲名が「ジハード(聖戦) 」になっているが同じ曲。
Amazonのページで最初の出だしだけ視聴できる
トルコの軍楽トルコの軍楽
(2008/07/09)
民族音楽エメル・メネメンジオール

商品詳細を見る



私が持っているCDはAmazonのページにあるCD(製造番号:KICW-85001)では無く、旧品のKICC-5101(同じくKING RECORDのCD。題は「オスマンの響き~トルコの軍楽」)だが、内容は全く同じと思われる。
KICW-85001もKICC-5101も21曲あり、曲名は全く同じ。

KICC-5101では
9.ジハード(聖戦)"CİHADI"(Holy War)

現地録音:小柴はるみ、1973年

小泉文夫/小柴はるみの連名による解説によれば

~ジハード(聖戦)・マーチの作曲家は不詳。アジェム・アシランAcem Aşiran旋法で、4拍子~

となっている。

Osmanlı Musikisi
Anasayfa > Repertuar > Mehter Marşları > Cihâd-ı Ekber Marşı
Cihâd-ı Ekber Marşı
http://www.osmanlimusikisi.com/portal/repertuar/mehter-marslari/cihad-i-ekber-marsi
に綺麗な五線譜の楽譜がある。

ここでは
曲名:Cihâd-ı Ekber Marşı
Makamı:Acem Aşirân
Usulü:Sofyan
Güfte:
Beste:İsmâil Hakkı Bey
となっている。
Güfteは詞、Besteは曲の意と思われる。
なぜかここの情報ではイスマイル・ハック・ベイ(1865-1927)作曲となっている。

歌詞は以下のような記述。

Artar cihâdla şânımız,
Fâhr-i Resûl sultanımız
Şer-i bize ihsân-ı hâk,
Uğrunda aksın kanımız

Türk oğluyuz, Türk oğluyuz
Ünvânlı,nâmlı,şânlıyız.
Allâh deyûp cenk ederiz
Var nusrete imânımız.

Usûlüのところに楽譜によるリズム周期(ウスール)の説明があるが、なぜか旋律の楽譜にあるSofyanの名では無く、Nim Sofyanと書かれている。
ただし、Nim Sofyanと題されているが、譜面の内容はSofyanをあらわしていると思う。
Nim Sofyanは、いわゆる2/4拍子。2拍で1周期になるリズム周期。
Sofyanは、いわゆる4/4拍子。4拍で1周期になるリズム周期。
Nimはペルシア語起源の語で「半分」の意と聞いた。

う~ん、作ったのは誰なのだろう。
turkmusikisi.comの情報は信頼性が高いと思う。専門なので。

でもマフムト2世は1826年にイェニチェリを廃止している。
そんな人物がMarşを作るのか?
イェニチェリの廃止を目論んだのは従兄の28代セリム3世で、でも上手くいかず、イェニチェリの力に負け退位させられた
→30代マフムト2世になってようやくイェニチェリ廃止が出来た、という経緯があるので。

Turkish Music Portal
MAHMUD II
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=102&lang2=en
には次のようにある(訳:白いりんご)

~彼はトルコにおいて公式に西洋化の過程を開始し、帝国の伝統的なイェニチェリ軍楽隊・メフテルハーネ mehterhâneを廃止した。そしてそれを西洋型の軍楽隊に置き換えた。彼は、西洋音楽をトルコに導入する機関ムジカイ・ヒュマユン Muzika-i Hümayun(帝国宮廷の音楽)を設立するため、イスタンブールに有名なオペラ作曲家ガエターノ・ドニゼッティ Gaetano Donizettiの兄ジュゼッペ・ドニゼッティ Giuseppe Donizettiを招いた。ムジカイ・ヒュマユンは実のところ、一種の西洋音楽学校だった。マフムドは公的に西洋音楽に対し特別の恩恵を与えたが、彼個人は伝統的なオスマン音楽の愛好者だった。セリム3世の宮廷において活躍した偉大な作曲家たちは、マフムド2世の時代においても活発であり続けた。それ故に彼の治世は、トルコ音楽の歴史においてもうひとつの輝いた時代であった~


斉藤完「『古典トルコ音楽』とは何か」の中の『古典トルコ音楽誕生』の節、41頁(アラブの音文化 グローバルコミュニケーションへのいざない、スタイルノート、2010年、所収)
によれば

~メフテルは1826年に廃止されたのちに、1914年に再興されるが、共和国政府により再び1935年に廃止される。これが再々興されるのは1952年のことで、1970年代にはイスタンブルの軍事博物館を中心に定期的に奏演されるようになっている~

とのこと。

イスマイル・ハック・ベイ(1865-1927)が作ったとすると1914年の再興~1935年の再廃止の間になるのかな?

Turkish Music Portal
ISMAİL HAKKİ BEY
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=68
によれば(訳:白いりんご)

~非常に生産的な作曲家のイスマイル・ハック・ベイはトルコ音楽のすべての形式に渡る、約1,000の作品を作曲した。これらはおよそ30の行進曲、オペレッタ、宗教曲を含む~

イスマイル・ハック・ベイ(1865-1927)は沢山行進曲を作っているようなのでCihâd-ı Ekber Marşıの作曲者、というのは有り得る。
→イスマイル・ハック・ベイ作の行進曲、例えば

Tekbir ve cenk marşı. Ismail Hakkı Bey (1866 - 1927). Makam: Rast, Usul: nim sofyan.(2/4)
"Eyşnli ordu, ey şanli asber"

情報元
Issue 1, November 1997
CD review:
The Janissaries - Martial Music of the Ottoman Empire, CD: Ethnic B 6738. Turkish military band music of the Ottoman empire, CD: KICC 5101.
WOUTER SWETS
http://www.iias.nl/oideion/journal/issue01/reviews/swets.html

キングレコードのCD「オスマンの響き~トルコの軍楽」(KICC-5101)では「テクビル行進曲 TEKBİR AND BATTLE MARCH」との表記。解説書(ブックレット)の説明では「ラースト旋法の4拍子」

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テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

Şehzade Seyfettin Efendi(1874-1927)

トルコ古典音楽の作曲家シェフザーデ・セイフェッティン・エフェンディŞehzade Seyfettin Efendi(1874-1927)について。

Şehzadeの読みは
シェフザーデ?
シェヘザーデ?
シェフザデ?
シェヘザデ?



■シェフザデ・セイフェッティン・エフェンディŞehzade Seyfettin Efendi(セイフェッティンSeyfettin王子)(1874-1927)

スルタン・アブデュルアズィズ(スルタン・アブデュルアジズ)Sultan Abdülazizの最も若い息子、そしてカリフの(訳注※1)アブデュルメジド・エフェンディAbdülmecid Efendiの兄弟。彼は様々なマカムmakamでの、そして多くの形式での、器楽作品と声楽作品(訳注※2)の作曲家として知られている、そして彼の音楽の好みは事実上古典だった。彼のマカム・バヤーティのペシュレヴはトルコの音楽のレパートリーにおいて最も愛らしい/最もかわいらしい/最もうっとりする/最も美しい/最もすてきな/最もほれぼれする/(訳注※3)器楽曲のひとつである。彼の完全な作品はまだ集められていない。

※いつもの通り下記Turkish Music Portalの英語の文章の適当訳。

訳注※1 Abdülmecid Efendi the Caliphは最後のカリフ・アブデュルメジド2世(アブデュルメジドニ世、アブドゥルメジド2世、アブドゥルメジドニ世)(1868-1944)の事。シェフザデ・セイフェッティン・エフェンディはカリフ・アブデュルメジド2世の弟になる。
→追記。トルコ語版の文章ではここの部分の文にYusuf İzzettin Efendiユスフ・イッゼッティン・エフェンディという人名が見えるが英語版の文では削られている?
→追記。Yusuf İzzettin Efendiは彼の兄か?

訳注※2 トルコ語版の文章では具体的な曲名が上がっている?
Hicaz muhayyer makamlarında murabba besteleri, şehnaz makamında bir kârı, mahur tavşan takımı ve çeşitli makamlarda peşrevleri, saz semaileri, bir de rast longası bilinmektedir
ヒジャズ・ムハイイェル?マカーム?ムラッバ?ベステ?、シェフナズ?マカーム?カール?、マーフール?、ペシュレヴ?、サズ・セマイ?、ラースト・ロンガ?

訳注※3 loveliestをどう訳したら良いか分らない。最も愛らしい?最もかわいらしい?最もうっとりする?最も美しい?最もすてきな?最もほれぼれする?



Turkish Music Portal(http://www.turkishmusicportal.org/index.php?lang2=en&lang2=en)英語版

Composers and Performers / Turkish Classical Music / Composers of the Ottoman Imperial Family
COMPOSERS AND PERFORMERS
SAHZADE SEYFETTİN EFENDİ
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=105&lang2=en

Sehzade Seyfettin Efendi (Prince Seyfettin) (1874-1927)
The youngest son of Sultan Abdülaziz, and brother of Abdülmecid Efendi the Caliph. He is known as a composer of instrumental and vocal works in many forms and in various makams and his musical preferences were classical in nature. His pesrev in bayati makam is one of the loveliest instrumental works in the repertoire of Turkish music. His complete works have yet to be compiled.



読めないがTurkish Music Portalのトルコ語版の文章も一緒に。


Besteci ve İcracılar / Klasik Türk Müziği / Sultan Bestekarlar
BESTECİ VE İCRACILAR
ŞAHZADE SEYFETTİN EFENDİ
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=105&lang2=tr

Şehzade Seyfettin Efendi (Prince Seyfettin) (1874-1927)
Sultan Abdülaziz’in en küçük oğlu, Halife Abdülmecid Efendi ile veliaht Yusuf İzzettin Efendi’nin küçük kardeşidir. Hicaz muhayyer makamlarında murabba besteleri, şehnaz makamında bir kârı, mahur tavşan takımı ve çeşitli makamlarda peşrevleri, saz semaileri, bir de rast longası bilinmektedir. Klasik zevke bağlı bir besteci olan Şehzade Seyfettin’in bayatî peşrevi Türk musikisi repertuvarının en güzel saz eserlerindin biridir. Eserlerinin tamamı ortaya çıkmamıştır.


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İstanbul Devlet Klasik Türk Müziği Korosu
BESTEKARLAR
1976'DAN BERİ ESERLERİNİ İCRA ETTİĞİMİZ BESTEKARLAR::.
http://devletkorosu.com/site/index.php?option=com_content&task=view&id=40&Itemid=34
によれば(→ここには顔写真有り。ふっくらとした顔立ちの男性。口髭を生やしてトルコ帽をかぶっている。白黒写真。)

SEYFEDDİN OSMANOĞLU
(22 Eylül 1874-19 Ekim 1927)

Beşiktaş Sarây-ı Hümâyûnu’nda doğdu. Sultan Abdülazizi’in beş oğlunun en küçüğüdür. İki yaşında iken babasını, on yaşında iken de annesi Gevherî Kadın Efendi’yi kaybetti. Tanbûrî Cemil Bey’den tanbûr ve kemençe öğrendi. Çocukları; Mehmed Abdülaziz Efendi, Mahmud Şevket Efendi, Ahmed Tevfik Efendi’ler de bestekâr, kemençevî ve tanbûrî olarak ün yaptılar. İstanbul’da Türk musikisinin en büyük hâmîlerinden biri olan Şehzâde Seyfeddin Osmanoğlu’nun elimizde Peşrev, Kâr, Beste, Ağır Semâî, İlâhî, Tavşanca, Marş, Saz Semâîsi, formlarında olmak üzere otuz altı adet eseri vardır.



SEYFEDDİN OSMANOĞLUでセイフェッディン・オスマンオール?セイフェッディン・オスマンオオル?
Sarây-ıとかHümâyûnu’ndaとかあるのでやっぱりオスマン帝室関係者 ?
Sultan Abdülazizスルタン・アブデュルアズィズ(スルタン・アブデュルアジズ)の名前も見える。
Gevherî Kadın Efendiは人名?Kadınなので女性?→追記。彼の母親と思われる
Tanbûrî Cemil Beyタンブーリー・ジェミル・ベイの名前も見える。
tanbûr ve kemençeタンブールとケメンチェ
Mehmed Abdülaziz Efendiはメフメド・アブデュルアズィズ・エフェンディ?メフメド・アブデュルアジズ・エフェンディ?人名?
Mahmud Şevket Efendiマフムド・シェヴケト・エフェンディ?マフムド・シェウケト・エフェンディ?人名?
Ahmed Tevfik Efendiアフメド・テヴフィク・エフェンディ?アフメド・テウフィク・エフェンディ?
bestekâr作曲家
tanbûrîタンブール奏者
İstanbulイスタンブル
Türk musikisininトルコ音楽?
Şehzâde Seyfeddin Osmanoğlu シェフザーデ・セイフェッディン・オスマンオオル?シェフザーデ・セイフェッディン・オスマンオール?
Peşrevペシュレヴ
Kârカール
Besteベステ
Ağır Semâîアーウル・セマーイー(アアウル・セマーイー)
İlâhîイラーヒー(聖歌)
Marşマルシュは行進曲の事?
Saz Semâîsiサズ・セマーイーシ
formlarındaは「形式」の意?



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英語版Wikipedia"Abdülaziz"
http://en.wikipedia.org/wiki/Abd%C3%BClaziz
によれば

Third marriage and issue
He married thirdly in 1872 to Circassian HH Gevherin Nedaxe Kadın Efendi (Caucasus, 8 July 1856 - Ortaköy Palace, Ortaköy, Constantinople, 20 September 1894), and had:

HIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendi (Beşiktaş Palace or Dolmabahçe Palace, 21/22 September 1874 - Nice, 19 October 1927), Rear Admiral of the Ottoman Navy, married firstly at the Ortaköy Palace, on 4 December 1899 to Georgian HH Necem Felek Hanım Efendi (Kutaisi, 5 January 1880 - Nice, 1930), and had one son, and married secondly at the Ortaköy Palace, on 23 February 1902 Georgian HH Nervaliter Hanım Efendi (Caucasus, 27 March 1885 - Nice, 1935), and had two sons and one daughter:

Mehmed Abdulaziz II
HIH Prince Şehzade Mahmud Sevket Efendi (Ortaköy Palace, Constantinople, 20 July 1903 - 1 February 1973), excluded from the Imperial House in 1931, married in Shkodër on 4 May 1922 and divorced in 1928 his cousin HH HH Princess Adile Hanımsultan Hanım Efendi (Ortaköy Palace, 12 November 1900 - February 1979), and had one daughter:
HIH Princess Hamide Nermin Nezahat Sultan (Shkodër, 27 January 1923 - 7 November 1998), unmarried and without issue
HIH Prince Şehzade Ahmed Tevhid Efendi (Çamlıca Palace, Üsküdar, Constantinople, 30 November 1904 - Beirut, 24 April 1966), twin with the below, unmarried and without issue
HIH Princess Fatma Gevheri Sultan (Çamlıca Palace, 30 November 1904 - 10 December 1980), twin with the above, unmarried and without issue

HIH Princess Gwaschemasch'e Kadın Efendi (Constantinople, Çırağan Palace, 21 June 1877 - ?)

とのこと。

セイフェッディン・オスマンオオルはオスマン帝国第32代君主アブデュルアズィズの息子。
32代アブデュルアズィズは7人の妻がいる。
32代アブデュルアズィズは1872年に3番目の妻、チェルケス人のHH Gevherin Nedaxe Kadın Efendiと結婚した。彼女との間に子供を2人もうけた。

母親のGevherin Nedaxe Kadın Efendiは、1856年7月8日コーカサス生-1894年9月20日コンスタンチノープルのオルタキョイ、オルタキョイ宮殿没。彼女には息子と娘がいる。

息子はHIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendi。つまりセイフェッディン・オスマンオオル。
娘はHIH Princess Gwaschemasch'e Kadın Efendi(1877年6月21日コンスタンチノープルのÇırağan宮殿生-?没)。ということは、彼女はセイフェッディン・オスマンオオルにとって妹。

セイフェッディン・オスマンオオルHIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendiはオスマン海軍のRear Admiralだった。これは海軍少将か海軍准将らしい。1874年9月21/22日、ベシクタシュ宮殿あるいはドルマバフチェ宮殿に生まれ、1927年10月19日にNiceで没す。
←Niceはフランスの街ニース?

彼には2人の妻がいる。

最初の妻とはオルタキョイ宮殿で1899年12月4日に結婚(グルジア人のHH Necem Felek Hanım Efendi[1880年1月5日グルジア西部のクタイシ生-1930年Nice没]、彼女との間に一人の息子がいる。

二番目の妻はオルタキョイ宮殿で1902年2月23日に結婚(グルジア人HH Nervaliter Hanım Efendi[1885年3月27日コーカサス生-1935年Nice没]、彼女との間には2人の息子と1人の娘がいる。



HIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendiと最初の妻Necem Felek Hanım Efendiの間に出来た息子はMehmed Abdulaziz II(1901年9月26日生-1977年1月19日没)
彼はオスマン家第40代当主。

HIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendiと2番目の妻Nervaliter Hanım Efendiの間に出来た子供は
息子HIH Prince Şehzade Mahmud Sevket Efendi(1903-1973)と、
息子HIH Prince Şehzade Ahmed Tevhid Efendi(1904-1966)と、
娘HIH Princess Fatma Gevheri Sultan(1904-1980)。


息子HIH Prince Şehzade Mahmud Sevket Efendi(1903年7月20日コンスタンチノープル、オルタキョイ宮殿生-1973年2月1日没)は、1931年に帝室から除外される、いとこのHH HH Princess Adile Hanımsultan Hanım Efendi(1900年11月12日オルタキョイ宮殿生-1979年2月没)と、1922年5月4日にアルバニアのシュコドラ(シュコダル)で結婚、1928年に離婚、娘が一人(HIH Princess Hamide Nermin Nezahat Sultan。彼女はセイフェッディン・オスマンオオルにとって孫に当たる。孫の彼女は1923年1月27日アルバニアのシュコドラ(シュコダル)生-1998年11月7日没、結婚せず

息子HIH Prince Şehzade Ahmed Tevhid Efendiは、1904年11月30日、コンスタンチノープル、ウスキュダル、Çamlıca宮殿生まれ、1966年4月24日ベイルート没。

娘HIH Princess Fatma Gevheri Sultanは、1904年11月30日Çamlıca宮殿生まれ、1980年12月10日没。



オスマン帝国第32代君主アブデュルアズィズの息子は
HIH Prince Şehzade Yusuf Izzeddin Efendi (1857-1916)
HIH Prince Şehzade Mahmud Celaleddin Efendi (1862-1888)
HIH Prince Şehzade Mehmed Seyfeddin Efendi (1874-1927)
Abdülmecid II(1868-1944)
HIH Prince Şehzade Mehmed Salâhaddin Efendi (1870-1900/1916)
HIH Prince Şehzade Muhammed Shefket Efendi (1872-1899)

の6人の模様。

Seyfeddinは1番年下の息子になる。(3番目の妻との間の子供だが)
妹はSeyfeddinより年下がいる



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SEYFEDDİNの名はアラブ人男性の名のサイフッ=ディーン(宗教の剣/信仰の剣)から来ている?
→フランス語Wikipedia
Eşrefoğulları
http://fr.wikipedia.org/wiki/E%C5%9Frefo%C4%9Fullar%C4%B1
(2010/04/28閲覧)
の注に

Seyfeddin en arabe : Sayf al-Dîn, sayf al-dīn, سيف الدين, épée de la religion.

という文がある

épéeはフランス語で「剣」、religionは「宗教」

この記事はアナトリアのトルコの君侯国のエシュレフォオル?エシュレフォール?Eşrefoğluの記事?
→ベイシェヒルBeyşehir(中央アナトリアのコンヤの近くの街らしい)が首都で、オグズ氏族でルーム・セルジューク朝衰退後?支配は1285年から1326年?
→追記。Eşrefoğullarıはトルコ語での複数形で、Eşrefoğluが単数形?エシュレフオオル?エシュレフオール?
→で、EşrefoğluでBeylik of Eşrefになってエシュレフ君侯国?
→EFENDI.jp
トルコの人名 The Turkish Names
http://www.efendi.jp/rq/script/languages/ancient/names/turkish_names.html
によれば

~トルコ人の名前は、今では「名前+姓」のシンプルなものになっているが、元来姓は無かった。
古典的名前ではいくつかのパターンがある~

~「父の名前 -oğlu +名前」、Özdemiroğlu Osmān Paşa といえば、「オズデミルの息子、将軍オスマーン」という意味(末に称号をつけることがままある。 Paşa は将軍、 Bey は知事など公称だが、Çelebi は貴族、Efendi は学者といった自称であり、勝手に付ける)。 -oğlu の代わりにペルシア風に -zāde を用いることもある~

~両者を合わせて、「出身地や職業や父祖の名 -li/lu +父の名前 -oğlu/-zāde +名前」ともするが、ペルシアとは順序が異なる。 Eğri Abdı-zāde Mehmet Bey といえば、「エウリ出身の、アブドゥの息子、知事メフメト」という意味~



東京外国語大学アラビア語専攻 アラビア語別館
名前辞典>アラブ人の名前(男性編)>「サ」
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/2/words/name/m/sa.htm
読み仮名:サイフ
意味:剣
アラビア語表記:سَيْف

読み仮名:サイフッ=ディーン
意味:宗教/信仰の剣
アラビア語表記:سَيْف الدِّينِ



http://www.notahavuzu.com/
で作曲家Seyfettinで検索したところ、以下の3曲を発見することが出来た。いずれもイラーヒー(聖歌)。

Dertli olan kullarına kıl devâ
Form:İlâhi, Makam:Ferahfezâ,
Bestekâr:Seyfettin Efendi(Şehzâde), Güftekâr:_, Usûl:Nim Evsat
TRT Repertuar No:14130

Ey tâlib-i dîdâr olan gel Hakk'a pervâz edelim
Form:İlâhi, Makam:Ferahfezâ,
Bestekâr:Seyfettin Efendi(Şehzâde), Güftekâr:Azîz Mahmûd Hüdâî Hz., Usûl:Düyek
TRT Repertuar No:14162

Halâs et kalbimiz Hubb-ı Sivâdan...
Form:İlâhi, Makam:Ferahfezâ,
Bestekâr:Seyfettin Efendi(Şehzâde), Güftekâr:Azîz Mahmûd Hüdâî Hz., Usûl:Düyek
TRT Repertuar No:14237


Ottoman music
http://www.adamgood.com/turkish_nota/map.php
(マカームや形式やウスールや作曲家ごとに楽譜を得られるwebサイト)
でSeyfettin Osmanoğluの曲を探すと
Beyâtî Peşrev Hafif Seyfettin Osmanoğlu 1874-1926
Hüzzâm Peşrev Muhammes Seyfettin Osmanoğlu 1874-1926
の2つがある模様。



googleでhttp://www.turkmusikisi.com/nota/の中にあるOsmanoğluを検索

→つまり
"Osmanoğlu" site:http://www.turkmusikisi.com/nota/
で検索
Beyâtî Peşrev Seyfettin Osmanoğlu
Hüzzâm Peşrev Seyfettin Osmanoğlu
しか見つからず。


Beyâtî Peşrevの楽譜
http://www.neyzen.com/nota_arsivi/02_klasik_eserler/012_beyati/beyati_p_seyfettin_osmanoglu_ney.pdf

Hüzzâm Peşrevの楽譜
http://www.neyzen.com/images/notalar/huzzam/huzzam_p_seyfettin_osmanoglu01.gif
http://www.neyzen.com/images/notalar/huzzam/huzzam_p_seyfettin_osmanoglu02.gif

名前:

シェフザーデ・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザーデ・セイフェッティン・エフェンディ?
シェフザデ・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザデ・セイフェッティン・エフェンディ?

シェフザーデ・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザーデ・セイフェッディン・エフェンディ?
シェフザデ・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザデ・セイフェッディン・エフェンディ?

セイフェッティン・オスマンオオル?
セイフェッディン・オスマンオオル?

セイフェッティン・オスマンオール?
セイフェッディン・オスマンオール?

シェフザーデ・メフメド・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザーデ・メフメド・セイフェッティン・エフェンディ?
シェフザデ・メフメド・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザデ・メフメド・セイフェッティン・エフェンディ?

シェフザーデ・メフメド・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザーデ・メフメド・セイフェッディン・エフェンディ?
シェフザデ・メフメド・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザデ・メフメド・セイフェッディン・エフェンディ?

シェフザーデ・メフメト・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザーデ・メフメト・セイフェッティン・エフェンディ?
シェフザデ・メフメト・セイフェッティン・エフェンディ?
シェヘザデ・メフメト・セイフェッティン・エフェンディ?

シェフザーデ・メフメト・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザーデ・メフメト・セイフェッディン・エフェンディ?
シェフザデ・メフメト・セイフェッディン・エフェンディ?
シェヘザデ・メフメト・セイフェッディン・エフェンディ?

関連記事
Beyâtî Peşrev , Gül yüzlülerin şevkine gel nûş edelim mey
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-93.html
→Beyâtî PeşrevはŞehzade Seyfettin Efendiの作曲。

オスマン帝国第32代皇帝アブデュルアズィズ(1830-1876)とトルコ音楽
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-51.html
→父親も作曲をした。

テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

ガジ・ギレイ・ハン2世(1554-1608)と音楽

一代でモンゴル帝国(モンゴル語:イェケ・モンゴル・ウルス「大モンゴル国」)を建てたチンギス・カンの長男がジョチで、ジョチの子孫がキプチャク草原によりジョチ・ウルス(ジョチ国、またキプチャク・ハン国とも)を建てた。ジョチ・ウルスの衰退後、カザン・ハン国、クリミア・ハン国、アストラハン・ハン国などが独立した。

クリミア・ハン国(クリミア=ハン国、クリミア汗国、クリム・ハン国、クリムハン国、クリム汗国、哥里米汗国、クリミア・タタール語:قريم خانلغى‎,Qırım Hanlığı、ウクライナ語:Кримське ханство,Kryms'ke khanstvo、ロシア語:Крымское ханство,Krymskoye khanstvo、トルコ語:Kırım Hanlığı、ポーランド語:Chanat Krymski)は黒海に突き出したクリミア半島を支配した勢力で、開祖はハージー1世ギレイ(ハッジィ・ギレイ)(1430生-1466没)。15世紀後半にオスマン帝国の属国となり、1783年ロシア帝国に滅ぼされた。

第13代ハンがガジ・ギレイ・ハン2世(ガジ・ギライ・ハン2世、ガーズィー・ギレイ・ハーン2世、II. Gazi Giray,Gazi II Giray,Gazi Giray Khan II,Bora Gazi Giray,II Ğazı Geray,Bora Ğazı Geray,۲غازى كراى‎‎‎,بورا غازى كراى(1554生-1608没、1588-1596および1596-1608在位)。別に同じ名前の1世(1523-1524在位)、3世(1704-1707在位)がいる。ちなみにGireyは、クリミア・タタール語ではゲライ Gerayとなるとのこと。また、ギレイの語はモンゴル時代に名高いケレイト族にちなむとのこと。2度ハンになっており、その経歴は

■1度目の治世
1588年: オスマン帝国の支持によりハンとなる。
1591年: ロシアを攻撃するが敗れる。
1592年: スルタンに対オーストリア戦のため呼び戻され、ロシアと和平。
1594年: ハンガリー戦に従軍。
1596年: カラガイのフェテ・ギレイを派遣。反抗のため追放されるが、3ヶ月で復活。

■2度目の治世
1598年: ハンガリーでオスマン軍に参加するも、後に帰国。オーストリアは離反を策す。
1602年: ハンガリーへ。
1606年: アナトリアへ軍を送る。
1607年: 病死。息子のトクタミシュ、オスマン帝国に支持されず。

彼は、成功した政治家・軍略家であると同時に優れた詩人・書家・作曲家でもあった。また芸術家と学者を支援した。

トルコではトルコ古典音楽の作曲家として知られている。彼の器楽曲は高く評価されており、トルコ古典音楽の演奏会で良く取り上げられ、演奏される。残念ながら彼の声楽曲は伝えられていない。

NOTAARSİVLERİ.COM 38.000 NOTA
http://notaarsivleri.com/index.html
のSAZ ESERLERİよりG.Girayが作曲となっているものを調べた。
Neyzen.comでのマカム Makam名表記に直すと以下のようになる。
曲名、(ウスル Usûl名)、(ウスルが何分の何拍子か)の順。

Acem Aşîrân Peşrev (Muhammes)(32/4拍子)
Beyâtî-Arabân Peşrev (Muhammes)(32/4拍子)
Evc-Hûzî Peşrev (Muhammes)(32/4拍子)
Evc-Hûzî Saz Semâîsi (Aksak Semaî)(10/8拍子)※第4haneはYürük Semâî(6/8拍子)にならない
Gerdâniye Peşrev (Çenber)(24/4拍子)
Geşt-ü Güzâr-ı Bahar Peşrev (Muhammes)(32/4拍子)
Geşt-ü Güzâr-ı Bahar Saz Semâîsi (Aksak Semaî - Yürük Semâî)(10/8拍子 - 6/8拍子)
Hicâz Peşrev (Fahte)(20/4拍子)
Hicâz Saz Semâîsi (Aksak Semaî)(10/8拍子)※第4haneはYürük Semâî(6/8拍子)にならない
Hüseyni Peşrev (Zencir)(120/4拍子)
Hüzzâm Peşrev (Fahte)(20/4拍子)
Isfahân Rûy-i Nevâ Peşrev (Berefşan)(32/4拍子)
Isfahân Rûy-i Nevâ Saz Semâîsi (Aksak Semaî - Yürük Semâî)(10/8拍子 - 6/8拍子)
Mâhûr Peşrev (Ağır Düyek)(8/4拍子)あるいは(Düyek)(8/8拍子)
Mâhûr Saz Semâîsi (Aksak Semaî - Yürük Semâî)(10/8拍子 - 6/4拍子)
Nihâvend Saz Semâîsi (Aksak Semaî - Yürük Semâî)(10/8拍子 - 6/4拍子)
Rekb-i Zâvil Peşrev (Çenber)(24/4拍子)
Rekb-i Zâvil Saz Semâîsi (Aksak Semaî - Yürük Semâî)(10/8拍子 - 6/4拍子)
Zirefkend Peşrev (Darbı Fetih)(84/4拍子)
Zirefkend Saz Semâîsi (Yürük Semâî - Curcuna - Aksak Semaî)(6/4拍子 - 10/16拍子 - 10/8拍子)※第一haneがYürük Semâîから始まる変わった曲。

■ガジ・ギレイ・ハン2世のいろいろな表記
ガジ・ギレイ・ハン2世
ガジ・ギレイ・ハンニ世
ガジ・ギレイ・ハーン2世
ガジ・ギレイ・ハーンニ世
ガジ・ギレイ汗2世
ガジ・ギレイ汗ニ世
ガジ・ギライ・ハン2世
ガジ・ギライ・ハンニ世
ガジ・ギライ・ハーン2世
ガジ・ギライ・ハーンニ世
ガジ・ギライ汗2世
ガジ・ギライ汗ニ世
ガーズィー・ギレイ・ハン2世
ガーズィー・ギレイ・ハンニ世
ガーズィー・ギレイ・ハーン2世
ガーズィー・ギレイ・ハーンニ世
ガーズィー・ギレイ汗2世
ガーズィー・ギレイ汗ニ世
ガーズィー・ゲライ・ハン2世
ガーズィー・ゲライ・ハンニ世
ガーズィー・ゲライ・ハーン2世
ガーズィー・ゲライ・ハーンニ世
ガーズィー・ゲライ汗2世
ガーズィー・ゲライ汗ニ世

Gazi Giray Han

改定履歴
2010/03/11
「ギレイの名はケレイト族にちなむ」追記、曲にHüseyni Peşrev (Zencir)(120/4拍子)追記

2010/04/07
CD"TURKEY SPLENDOURS OF TOPKAPI"の解説書よりの情報を追記

2010/10/17
検索でヒットするように「Gazi Giray Han」の記述を追加

参考
Turkish Music Portal
Composers and Performers / Turkish Classical Music / Composers of the Ottoman Imperial Family
GAZİ GİRAY KHAN II
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=98&lang2=en

Turkish Music Portal
Besteci ve İcracılar / Klasik Türk Müziği / Sultan Bestekarlar
GAZİ GİRAY KHAN II
http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=98&lang2=tr

pinoko555@hotmail.com
クリミアハン国史(Crimean khanate)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6378/crimea.html

赤坂恒明の連絡用ホームページ
クリミア汗国関係の近刊書より二点三冊
http://www.geocities.jp/akasakatsuneaki/h180904.html

NOTAARSİVLERİ.COM 38.000 NOTA
SAZ ESERLERİ
http://notaarsivleri.com/sazeseleri%20fih-1-a-h.html
http://notaarsivleri.com/sazeseleri%20fih-2-h-z.html

Wikipedia
クリミア・ハン国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E5%9B%BD

Wikipedia
Crimean Khanate
http://en.wikipedia.org/wiki/Crimean_Khanate

Wikipedia
II. Gazi Giray
http://tr.wikipedia.org/wiki/II._Gazi_Giray

Wikipedia
Газы II Герай
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D0%B0%D0%B7%D1%8B_II_%D0%93%D0%B5%D1%80%D0%B0%D0%B9

杉山正明/北川誠一「世界の歴史9 大モンゴルの時代」 > 5 近代世界の扉 > たそがれのとき > 帝国西半の動き、239頁(→ギレイの名はケレイト族にちなむ)

--------------------------------------------------------
2010/04/07追記

Opus111社販売のCD、演奏Bezmârâの"TURKEY SPLENDOURS OF TOPKAPI"(OPS 30-266)(フランス製)の解説書(ブックレット)にトルコ人の男性Fikret Karakayaが書いている文章があって(フランス語に翻訳したのはHegumen Andrew Wade。以下の文章は英語なのだが、誰が英語に翻訳したのかは書いていない。トルコ語→フランス語→英語に翻訳か?)、それによるとGAZI GIRAYは以下の通り。(トルコ語→フランス語→英語→日本語と翻訳を重ねていると思われるので情報の信頼性に注意)

ガジ・ギライは1554年に生まれた、そして良い教育を受けた。彼は1585年にイスタンブールへ行った。1588年に彼はオスマン帝国のスルタン、ムラド三世(訳注※1)によってクリミアのハンの位を与えられた、そして19年治めた。1591年には、彼の軍勢はモスクワまで進んだ。彼は1608年にシムフェロポル(訳注※2)の近くで死んだ。ガジ・ギライはまた書家で一流の詩人だった、そしていくつかの楽器を演奏した。彼は偉大なペシュレヴと(訳注3)セマーイーの作曲家のひとりであると考えられている。彼の作品は口頭伝承と書物(アリ・ウフキー(訳注※4)とカンテミルの)の中で生き残っている。

訳注※1 ムラド3世、ムラト三世、ムラト3世(オスマントルコ語: مراد ثالث そのラテン文字転記:Murād-i sālis , トルコ語:III.Murat)(1546年7月4日生-1595年1月15日没)。オスマン帝国第12代スルタン(在位:1574年-1595年)

訳注※2 シムフェロポルはウクライナのクリミア自治共和国の首都。元々、クリミア・ハン国時代には、クリミア・タタール語で「白いモスク」を意味するアクメスジトAqmescit(アクが白いでメスジトがモスクの意)(またはアクメチェット)という名前で呼ばれており、商業都市として栄えていたが、1784年にクリミア・ハン国が滅亡し、ロシア帝国に併合されると、ギリシア語で「有用な都市」を意味する(Συμφερόπολις)」(スュンフェロポリス)に由来するシンフェロポリ、シンフェローポリに改称された。ウクライナ語ではスィムフェローポリ(Сімферополь)、ロシア語ではスィムフィローパリ(Симферополь)。

訳注※3 etは原文ママ。おそらくandの事と思われるのでandで訳した。

訳注※4 アリ・ウフキー(Ali Ufki)またはボボウスキー(Wojciech Bobowski , Albert Bobowski , Albertus Bobovius , Alberto Bobovio)。またAli Bey , Santurî Ali Ufki , Hali Beyとも。1610年生まれ、1675年没。17世紀のポーランド人あるいはウクライナ人あるいはトルコ人。トルコ名アリ・ウフキー・ベイAli Ufkî Bey。ウクライナでポーランド貴族の息子として生まれ、18歳の時デヴシルメで徴発、イスタンブルに連れて来られ、ムスリムとなり、22~29歳の間トプカプ宮殿に入り、そこで19年過ごした。これは17代ムラト4世(1623年-1640年)、18代イブラヒム(1640年-1648年)、19代メフメト4世(1648年-1687年)の治世期間にあたる。古典トルコ音楽をはじめて採譜した。彼の「器楽と歌謡集成」Mecmûa-i Sâz ü Sözは大英図書館に、その草案であるŞiir ve Şarkı Mecmuasıはフランス国立図書館に保管されている。

原文:

GAZI GIRAY was born in 1554, and received a good education.He went to Istanbul in 1585.In 1588 he was appointed Khan of Crimia by Ottoman Sultan Murad III, and he reigned for nieteen years.In 1591, his troops advanced as far as Moscow.He died in 1608 near Simferopol.Gazi Giray was also a calligrapher and a major poet, and played several instruments.He is considered to be one of the great peşrev et semâî composers.His works have survived in the oral tradition and in the collections of Ali Ufkî and Cantemir.

テーマ : 民族音楽
ジャンル : 音楽

オスマン帝国第32代皇帝アブデュルアズィズ(1830-1876)とトルコ音楽

アブドゥルアジズ Abdülaziz(1830-1876)(訳注※1)

第32代オスマン帝国スルタン。マフムド2世 II. Mahmudの息子。彼は1861年に帝位についた。トルコ音楽より西洋音楽を好んだ彼の兄スルタン・アブドゥルメジド Abdülmecid(訳注※2)に似ず、アブドゥルアジズは伝統音楽の愛好者だった。彼はネイ neyとラウタ lavta(ヨーロッパのリュート luteのトルコ版)を演奏した。彼はその上作曲に興味を持った。そして3つの声楽曲と1つの器楽曲を作った。(訳注※3)

Turkish Music PortalのAbdülazizの項目(英語)の適当訳。

訳注※1 アブドゥルアジズ、アブドゥルアズィズ、アブデュルアズィズ、アブデュルアジズ、トルコ語:Abdülaziz、オスマントルコ語:عبد العزيز、オスマン帝国第32代皇帝。1830年2月9日生 - 1876年6月4日没、在位:1861年 - 1876年。第31代皇帝アブデュルメジト1世の弟。
訳注※2 ここで言うアブドゥルメジドはアブデュルメジト1世の事か?アブデュルメジト1世だとすると、アブドゥルメジドはオスマン帝国第31代皇帝で、1823年4月23日生 - 1861年6月25日没、在位:1839年 - 1861年。第30代皇帝マフムド2世の子。オスマン帝国第32代皇帝アブドゥルアジズの兄。

 →追記:マフムド2世の子はスレイマン(1歳で死亡)・アブデュルメジド・アブデュルアジズの3人の模様。よってここで言うアブデュルメジドはオスマン帝国第31代皇帝で良いと思う。

訳注※3 トルコ語版の文章には具体的な曲名が上げられている
声楽曲3曲:
Şevkefza şarkı (“Ey nevbahar-ı hüsn-ü ân”),
Evcârâ şarkı (“Ettiğinden utanmaz mısın”),
Muhayyer Şarkı (“Bî-huzurum nâle-i mürg-i dil-i divaneden”),
器楽曲1曲:
Hicaz sirto

http://www.notahavuzu.com/で声楽曲を検索した結果

Bî-huzûrum nâle-i mürg-i dil-i dîvâneden
Form:Şarkı, Makam:Muhayyer,
Bestekâr:Abdülaziz Han(Sultan), Güftekâr:Ahmet Feyzî Bey (Muâllim), Usûl:Devr-i Hindî
TRT Repertuar No:1637

Ettiğinden utanmazsın
Form:Şarkı, Makam:Evcârâ,
Bestekâr:Abdülaziz Han(Sultan), Güftekâr:_, Usûl:Aksak
TRT Repertuar No:3969

Ey nev-bahâr-ı hüsn ü ân
Form:Şarkı, Makam:Şevkefzâ,
Bestekâr:Abdülaziz Han(Sultan), Güftekâr:_, Usûl:Ağır Düyek
TRT Repertuar No:4210

またNeyzen.comに器楽曲Hicaz sirtoの楽譜(pdf)有り
http://www.neyzen.com/nota_arsivi/02_klasik_eserler/034_hicaz/hicaz_sirto_sultan_abdulaziz.pdf

原文

Turkish Music Portalより

http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=103&lang2=en
Composers and Performers / Turkish Classical Music / Composers of the Ottoman Imperial Family
COMPOSERS AND PERFORMERS
ABDüLAZİZ

Abdülaziz (1830-1876) 32nd Ottoman sultan, and son of Mahmud II. He ascended to the throne in 1861. Unlike his elder brother, Sultan Abdülmecid, who prefered Western music to Turkish music, Abdülaziz was a lover of traditional music. He played the ney and lavta ( Turkish version of European lute). He took interest in composing as well, and produced three works and one instrumental piece.

このページでアブデュルアズィズ作曲のEy Nevbahar-ı hüsnü anの音が聞ける。

トルコ語版(Turkish Music Portalより)

http://www.turkishmusicportal.org/composer.php?id=103&lang2=tr
Besteci ve İcracılar / Klasik Türk Müziği / Sultan Bestekarlar
BESTECİ VE İCRACILAR
ABDüLAZİZ

Abdülaziz (1830-1876)
32 Osmanlı padişahı. II. Mahmud’un oğludur. 1861’de tahta çıktı. Batı musikisini tercih eden ağabeyi Sultan Abdülmecid’in aksine, tercihi Türk musikisinden yanaydı. Ney ve lavta çalardı. Besteciliğe de ilgi duymuş, şu eserleri bestelemiştir: Şevkefza şarkı (“Ey nevbahar-ı hüsn-ü ân”), Evcârâ şarkı (“Ettiğinden utanmaz mısın”), Muhayyer Şarkı (“Bî-huzurum nâle-i mürg-i dil-i divaneden”), Hicaz sirto. Bunlardan hicaz sirto günümüze kadar çok sevilmiş ve sık sk çalınmıştır.

改定履歴
2013/10/27
関連記事に「オスマン帝国のスルタン・アブデュルアジズの絵画」を追加

関連記事
Şehzade Seyfettin Efendi(1874-1927)
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-94.html
→Şehzade Seyfettin Efendiは息子。息子も作曲をした。

マフムト2世(マフムト二世)と音楽
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-50.html
→マフムト2世は父親。父親も作曲をした。

オスマン帝国のスルタン・アブデュルアジズの絵画
http://minzokuongaku822.blog122.fc2.com/blog-entry-205.html
アブデュルアジズは絵を描いていた。
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